鬱病完治記も最終回を迎えました。
お読みくださった方、有難うございます。
では続きを。
ロバートフォグリン『理性はどうしたって綱渡りです』★★★★★
【食事をしたり、バック・ギャモンをしたり、
会話をしたり、友人と愉快なひとときを過ごす。
そうして数時間を楽しく過ごした後、
再びその(哲学的)思索に立ちかえろうとすると、
それらは冷ややかなものに思われ、
またわざとらしく、馬鹿げても見え、
私はもうこれ以上
この思索に踏み込もうという気持ちを失っている。】p171
【これらすべての(哲学的)問いに困惑し、
私は、自分自身が、
考えうるかぎりのもっとも嘆かわしい状況にあり、
もっとも深い闇に囚われ、
身体も、能力も、そのことごとくが
奪い去られてしまったように思いはじめるのである。】p216
【難解な思想と深遠な探求を
私(D.ヒューム:イギリスの哲学者)は禁じる。
禁を犯した者は、物思わしげな憂鬱に引き込まれ、
果てしない不確かさに捉えられ、さらに思弁の成果と
自称するものを人に伝えようとしても、
ただ冷ややかな態度に出会う。
それが、私が その者に厳しく与える罰である。
哲学者たらんとせよ。
だが、自らの哲学の只中において、なおも一人の人間であれ。】p218
⇒
まず一文目なのですが、哲学病解決の核心を突いていると思います。
部屋にこもって思索に耽りそうになったら、
すぐに部屋を飛び出し、とにかく体を動かす・楽しいことをする。
脳の思考に生活を奪われない。これとても大事です。
次、二文目。これは当時の小太郎の状況です。
とにかく哲学思考にエネルギーを奪われ、
全身が強制的に脱力してしまうんです。
夕食のおかずを買いに、
歩いて3分の西友に行くのも難儀で、
部屋で、ご飯にしょうゆをかけて食べてました。
最後、三文目、最終的に小太郎はこの文章で救われました。
なんでこの文章で救われたのかな・・・。
この文章を綴ったDavid Humeという人物も
若い時に、精神病(多分哲学のやりすぎだと思う)で
苦しんだ経験があるんですね。
Humeおじさん-wikiより引用
で、そこから立ち直って偉大な業績を残している。
同じ病で苦しんだ人類の先輩からの、魂のこもったアドバイスだと
多分当時の小太郎は、無意識で感じ取ったんでしょう。
だから、部活後のポカリスエットのように、
彼のアドバイスが全身に染み込んでいきました。
もしHumeおじさん(1711-1776)が存命だったら、
一晩哲学と人生について語り明かしたいです。
とまあそんなこんなで、小太郎の鬱病・哲学病は完治しました。
本当にあの時、自殺しなくて良かったと思います。
同じような病で苦しんでいる方は、コメント下さい。
一緒に語り合いませんか。
小太郎でした。ではでは〜。


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